徳川家康公の末裔であり、柳生新陰流の剣士でもある作家・多田容子氏を講師に招き、「服部半蔵と柳生の剣~家康以前から家光まで」と題し、講演いただきました。講演では服部半蔵の家系図をスクリーンに投影し、特に武勇に知られている二代目服部半蔵の生き様が紹介されたり、伊賀忍者の故郷・伊賀地方に住まわれていた時期もあるとかで、柳生一族や巷間伝えられている柳生宗矩の実像を解説解説頂くなど、多肢に渡るお話で来場者の関心を寄せていました。また半蔵も宗矩も武芸に富んだ時代の英雄だったわけですが、家康公が幕府を開き平和な時代へと移るに従い、時代の流れが刀剣を戦場で使う時代から、武士に嗜みとしての武芸に変わりゆくさまも紹介されました。
◆日時:2025年2月15日(土)◆会場:しずぎんホール8Fユーフォニア ◆講師:多田容子氏(作家
題目:「服部半蔵と柳生の剣~家康以前から家光まで~」
「伊賀の忍びの頭目として知られる服部半蔵。初代服部半蔵保長は京都で室町幕府の将軍、足利義晴に仕えていたが、三河国へ移り住み、徳川家康の祖父、松平清康の家臣となる。それから約百年、江戸幕府三代将軍徳川家光と四代目半蔵正重の時代に、ようやく徳川の天下が定まった。家康と同い年であった二代目半蔵正成は「鬼半蔵」の異名を持つ槍武将で、数々の超人的武功をあげた。桶狭間合戦後の混乱期、三方ヶ原の戦い、神君伊賀越え、小牧・長久手の戦いなど… … 長年、徳川を支えた伊賀服部党の功績の大きさを見ていく。
また、徳川将軍家御家流の兵法で、人を切らない「平和の剣」と呼ばれる柳生新陰流についても詳説する。この剣は徳川の平和国家構築に不可欠なものであり、兵法師範の柳生宗矩は家康に仕えた後、二代将軍秀忠、三代将軍家光を支え、導いて幕府大目付となった。柳生新陰流の実技を学んだ剣士が「剣禅一如」の心法なども含め、総合的な視点で解説する」」という観点で解説頂きました。
徳川家康公の末裔であり、柳生新陰流の剣士でもある作家・多田容子氏を講師に招き、「服部半蔵と柳生の剣~家康以前から家光まで」と題し、講演いただきました。講演では服部半蔵の家系図をスクリーンに投影し、特に武勇に知られている二代目服部半蔵の生き様が紹介されたり、伊賀忍者の故郷・伊賀地方に住まわれていた時期もあるとかで、柳生一族や巷間伝えられている柳生宗矩の実像を解説解説頂くなど、多肢に渡るお話で来場者の関心を寄せていました。また半蔵も宗矩も武芸に富んだ時代の英雄だったわけですが、家康公が幕府を開き平和な時代へと移るに従い、時代の流れが刀剣を戦場で使う時代から、武士に嗜みとしての武芸に変わりゆくさまも紹介されました。
◆日時:2025年2月15日(土)
◆会場:しずぎんホール8Fユーフォニア
◆講師:多田容子氏(作家
題目:「服部半蔵と柳生の剣~家康以前から家光まで~」
「伊賀の忍びの頭目として知られる服部半蔵。初代服部半蔵保長は京都で室町幕府の将軍、足利義晴に仕えていたが、三河国へ移り住み、徳川家康の祖父、松平清康の家臣となる。それから約百年、江戸幕府三代将軍徳川家光と四代目半蔵正重の時代に、ようやく徳川の天下が定まった。家康と同い年であった二代目半蔵正成は「鬼半蔵」の異名を持つ槍武将で、数々の超人的武功をあげた。桶狭間合戦後の混乱期、三方ヶ原の戦い、神君伊賀越え、小牧・長久手の戦いなど… … 長年、徳川を支えた伊賀服部党の功績の大きさを見ていく。
また、徳川将軍家御家流の兵法で、人を切らない「平和の剣」と呼ばれる柳生新陰流についても詳説する。この剣は徳川の平和国家構築に不可欠なものであり、兵法師範の柳生宗矩は家康に仕えた後、二代将軍秀忠、三代将軍家光を支え、導いて幕府大目付となった。柳生新陰流の実技を学んだ剣士が「剣禅一如」の心法なども含め、総合的な視点で解説する」」という観点で解説頂きました。