入会のご案内はこちら

Member Registration

Report

第1回講演会

2016年から2019年にかけて行われた駿府城天守台発掘調査で、家康公が入城する前の天守台が出土し話題になった駿府城。家康大御所政治の舞台を彩る権勢の場として位置した駿府に、燦然と輝いていたであろう家康時代の駿府城天守を、日本城郭協会理事の加藤理文氏に講演いただきました。隠居地でありながら地政的見地や裏政治の舞台として駿府を選んだ家康公が、居する城として相応しい巨城であったこと。天守の規模や外観における記述として、当代記や慶長日記から紐解いた天守の姿を解説いただきました。第二部では、当学会会長の小和田哲男との対談が行われ、天正期と慶長期の天守台からみた当時の治政や意図を解説頂きながら、家康公が君臨した当時の駿府城を思い浮かべながら充実したお話をいただく事となりました。

◆日時:2024年4月16日(火)
◆会場:静岡市民文化会館中ホール
◆式典:徳川家臣団大会
◆講演:講師/加藤理文氏
((公財)日本城郭協会理事)対談/加藤理文氏 小和田哲男(当学会会長)

題目:「慶長期 徳川家康の天守に迫る」

慶長10年(1605)、将軍職を嫡子秀忠に譲った徳川家康は、駿府の地に隠居城を築くことになります。築城工事は、諸大名に普請が割り当てられる割普請(天下普請)によって慶長12年2月17日に着手されました。築城工事は急ピッチで進められ、7月3日に本丸が完成、家康が入城しています。さらに工事は、昼夜兼行で引き続き10月まで行われました。ところが、その年の暮れの12月22日、奥女中の火の不始末によって本丸から出火、本丸が全焼してしまったのです。家康は、直ちに再建工事を命じ、諸大名にも再び普請が割り当てられ、翌年3月14日には再建工事が完成し、家康が移徒しています。今回、この工事によって完成した慶長期の駿府城の姿を、平成~令和にかけて実施された発掘調査成果や、残された各種記録から考えてみたいと思います。我が国最大の規模を持つ天守台を含め、徳川家康が、本当に築きたかった天守はどんな姿をしていたのでしょうか。